『天地明察』冲方丁(角川書店)読了

史実の間を想像で紡ぎ、惹きつける物語とする、まさしく正しい時代小説。

日本史の授業で項目として覚えただけの授時暦、貞享暦、渋川春海がいきいきと蘇り、あまつさえ尊敬する和算の大天才関孝和(俺が持ってるイメージとは違う人物造形だったが)と運命の糸を交わらせるところなんかは興奮を超えて作者に感謝の念すら覚える。

天下の一大事業ではあるが一見地味な改暦というテーマを、かくも魅力的なエンターテインメントに仕上げた作者の努力と力量には頭を垂れるほかない。

そして、そのストーリーテリングもさることながら、多彩なキャラクターの魅力も素晴らしい。特にえん。(ラノベで培われた?)そのツンぶりは豪速球。全編通してデレるのが1か所だけというのもポイントが高い(笑)。

唯一残念といえるのは、第6章5節以降。改暦に至るまでの出来事としても肉厚であり、また、春海のそれまでとは違う一面(実直一辺倒だった男が改暦に執念を燃やし、搦め手からも闘う)を描けたであろうに、淡々とまとめてしまっている。

その直前に起承転結の転を持ってきているので、まとめに入ったということかもしれないが、いかにもあっさりとしていてもったいなく(物足りなく)感じた。

とはいえ一級品のエンターテインメント作品であることは間違いなし。心から拍手を送りたい。

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『偽薬のミステリー』パトリック・ルモワンヌ(紀伊國屋書店)読了

従来、偽薬というものは医療・治療にとってのノイズで、究極的には根絶すべきものだという考えていたが、本書を読んで少し思い直した。

患者の治療こそが最大の命題だとすれば、医師と患者の信頼に強く依存する偽薬は、治療の一形態であるともいえる。さらに言うならば、医師が患者に接する態度や励ましの言葉なども(有効成分が定量的に検出できず、再現性もないという意味で)偽薬の一種といえるかもしれない。

偽薬を効果的に用いることができれば、実薬による副作用を減らしたり、医療費を圧縮したりすることもできるかもという夢も広がる。とはいえその利用に際しては倫理が問われることも必定。偽薬について正しい説明がなされ、広く理解されることが必要だが、みんなが理解すればするほどその効果は薄まるという問題もある。8章の最後にあったような素晴らしい例なんかは理想的だが……。

ともあれ間違いなく言えるのは、医師が患者にとってどれだけ重要かということだろう。その一挙手一投足が治療を大きく左右するということに当の本人たちは気づいているんだろうか? 自分が受けた診察の経験からいうと、思い至っていない医師も多そうな気がする。そもそも医師の育成にあたって、そういった教育はどの程度行われているんだろう? 機会があれば聞いてみたいものだ。

また、7章の最後でホメオパシーについてすぐれた指摘がなされていることにも言及しておきたい。偽薬療法(信奉者はホメオパシーは違うと主張するだろうが、偽薬療法そのものだろう)は、治癒の可能性と不可能性を見分けることができる医師によって実践されているからこそ意味があるのである。

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トレッキング(御池岳)

鈴鹿山脈最高峰の御池岳。人気の山で、休日は混雑も予想されるため、昨日金曜に出かけてきた。

1週間ほど前まで、木曜から金曜にかけて上空に寒気が入り込み、その影響で激しい雷雨や竜巻の可能性があるとの天気予報であったが、木曜の時点では、金曜朝には関西は通過しているとの予報に変わっていた。

そして金曜朝。前日夜半には激しい雨風があったが、それも上がっていたので山行を決定し、車で出発。ところが次第に天候は悪化し、多賀町に入ったあたりで本格的に降りだす。どうしたものかと思いながら走らせていたが、幸い鞍掛トンネル滋賀県側の登山口に着くころには雨が上がっていた。

かわりにぼんやりとガスがかかり始め、若干の不安を覚えながら登山開始。

鞍掛峠まで植林帯を抜け、途中の鉄塔で整備の方に出会ったほかは人に出会わず。そこから尾根道が続くが、いよいよガスが濃くなり風も強くなってくる。かなり不安を覚えたが、尾根道は踏み跡もしっかりしており、よほどのことがない限り迷うこともないと慎重に進む。

このあたりは左右も開けており、晴れていればさぞや展望がよいだろうと思わせるが、ガスがかかった光景も幻想的。楽しみながら進むが、鈴北岳山頂に着くころにはさらにガスは濃く、風は強くなり、気温も6℃程度まで下がる。装備はソフトシェルにハードシェルとすっかり冬の様相。

鈴北岳山頂周辺

鈴北岳山頂から丸山方面へ向かおうとしたが、踏み跡が幾つかあり、ルートがよく判らない。加えて雨も降り出す。まだ雷の季節でもないと思うが、このあたりの機微は判らないので、今日はここで引き返すことに。

しばらく下山していると、女性3人組(3世代かな?)が登ってくるのに出会う。風・ガスが強いということを伝え、さらに下る。鞍掛峠に着くころには風はだいぶ収まり、ガスはほぼなくなる。時間もまだまだあったし登り返そうかとも思ったが、次回の楽しみにする。

2012-05-19のニュース

2012-05-18のニュース

2012-05-17のニュース

『愚者のエンドロール』米澤穂信(角川書店)読了

『氷菓』に続く古典部シリーズ第2弾。

どのように感想を書こうかと思ったが、貶してから褒めることにする。

まず断じて許せないのは、主人公折木が解明した事件の「真相」について。俺が知るかぎりこのトリックの初出は新本格作家A氏の作品だと思うが、まったく同じものを「盗用」しながら、あとがきでも一言もないというのはどういうことだろう?

『毒入りチョコレート事件』や『探偵映画』には触れながら、その作品に触れないというのはまったく理解に苦しむ。『占星術殺人事件』に対する金田一少年と同じだぞ、これは。

それとも何か。俺は寡聞にして知らないが、このトリックはパブリック・ドメイン化するほど一般的になっているのか? にしたところで、先達への敬意が必要ないわけじゃあるまい。

ともかくこの点については非常に腹立たしく不快に感じた(もし事実関係等誤認があれば教授願いたい)。

……ここから気分を変えて褒めることにする。実は本作においてトリックや謎解きは作品の根幹部分ではなく(幸いだった!)、主人公折木のレーゾン・デートルへの問いかけこそが主題だった。

「きっと何者にもなれないお前たち」であると自分を「貶め」、世事への無関心を貫いていた折木が役割を「与え」られ、有頂天になったところを突き落とされる。

そういった青春時代の1ページを切り取ったことに本作の意義はあるし、筆者がこれからの折木をどう描くのかには興味がある。

本格としての出来はさほどだし、トリックの問題はのどに刺さった骨のように気になって仕方ないが、青春小説としては頷けるところがあった。まあ折木の心情(喜び・苦さ)をもっともっと描いたほうがそのあたりがはっきりしてよかったとは思うけど。

ともあれ良きにつけ悪しきにつけ『氷菓』よりも読後感が「あった」。3作目も読む。

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2012-05-16のニュース

『人間はどこまで耐えられるのか』フランセス・アッシュクロフト(河出書房新社)読了

タイトルだけ見るとゲテモノ寄りにも見えるが、あにはからんや、素晴らしいサイエンスブック。

第1章 どのくらい高く登れるのか
第2章 どのくらい深く潜れるのか
第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか
第4章 どのくらいの寒さに耐えられるのか
第5章 どのくらい速く走れるのか
第6章 宇宙では生きていけるのか
第7章 生命はどこまで耐えられるのか

の7章構成だが、1~4章はいざという時の危機管理マニュアルとしても秀逸。実例を引きつつ人体のメカニズムを説明し、必然的に導き出される効率的な対処法を示している。

最近トレッキングに出かけるようになった自分にとっては、高さ・暑さ・寒さがもたらすさまざまな危険を解説している本書は大変ためになった。

そしてそればかりではなく、読み物としても抜群におもしろい。人間がどのようなドラマとともに困難を克服してきたのかは本当にワクワクする。

さらに6章以降では、熱水の中や極寒の地で生きている信じられない生命たち(このあたりは新しい知見はなかった)についても触れられており、知らない人にとっては大変興味をそそる内容になっている。

俺は図書館で借りたんだけど、読み終わると同時にネットで注文した。オススメ。

ところで、つい先日の北ア遭難事故では、回収された遺体がTシャツや夏用のレインスーツ姿だったということで装備不足が指摘されていた。ところが続報では、ライトダウンやツェルトも用意した60L程度のザックを用意していたとのことで、準備に抜かりはなかったようだ。

キリマンジャロやアルプス登頂者もいるヴェテランがなぜ、という疑問の回答は低体温症。本書によると中度の低体温症(中枢温度が35℃を下回る)では、体が激しく震え、歩くのもやっとになる。言語は不明瞭に、思考は緩慢に、そして合理的な判断ができなくなる。雪の中で寝たいと思ったり、ザックが重すぎるから捨てようとしたり、寒さを感じないので服を脱ぎ始めることさえあるらしい。

先の事故でもおそらく天候の急変により、みるみる気温が下がり、様子を見ている間に低体温症に陥り、適切な対応が取れなかったのではなかろうか。

登山の先輩に対して失礼を承知で書くが、これは他山の石とするに格好の材料。

「ウェアの着脱は面倒臭がるべからず」

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