『BEATLESS 上 下』長谷敏司(角川書店)読了

最近は読書量もめっきり減り、感想を書くこともなくなってしまったが、書かざるを得ない。本書は、きわめて現代的・実際的な問いを投げかける(でありながら、近未来色に彩られている)、実に優れたSF小説だったからである。

一般的にはあまり理解されていないかもしれないが、そもSFには、純文学以上に人間性に切り込んだり、社会を俯瞰したりする作品が数多く存在する。それは、SFがその構造上、問題を先鋭的な形で浮き彫りにすることが可能だからである。

本書は、もっとも表面的に現れている「こころが存在しないAIを人間は信頼できるか(愛せるか)」というテーマを通して、「人工知能(AI)」と「人間」に仮託された「かたち」「ふるまい」「意味」「こころ」の関係を問うている。

最終的に主人公のアラトは「人間にとって、モノは愛すべき存在であり、信頼すべき存在である」という答えにたどり着き、それが人類にとっての「少年時代」の終わりだと告げる。人によってはそれはディストピアだと感じるかもしれないが、アラトはその意見には与しない。かたちのない愛やこころといったものは、多くの人間の多くの言動・行動・ふるまいが円環状に散りばめられた中心に存在する空白の中にあるものであり、こころがないモノも、ともにその円環に位置し、ともに手を伸ばし歩んでいく存在なのだと考える。モノは人類の始まりから人間の一部であり、そうなることが必然で、そうなった今こそ社会が一歩前進したのだと。

(さらに作中では、人間を遥かに超える知性を持つ超高度AIが、最後には人間を「信じ」、未来を託す。これは「量」によって「愛」が担保されると確信したためで、このこともまたひとつの大きなテーマだと思うが、とりあえずこの点はおく)

俺は今まで、人間の「こころ」だって、シナプスの発火が司っているものなんだから、電気信号で動く機械に「こころ」がないというのなら、人間にだって「こころ」があるといえるのか、という考えから、機械だって人間だって同じだろう(ゆえに機械だって人間と同じように信頼できる)という意見だった。だから、アラトは、機械には人間が持つ「こころ」はない。でも「こころ」がないモノだって、同じ「かたち」を共有できる(書いてて気づいたけど、これってまさに哲学的ゾンビだよな)なら信頼することだって愛することができるんだという考え方は、同じ結論ではあってもそのアプローチの違いには考えさせられた。「かたち」を利用して「意味」を与える「アナログハック」は、本書のキィワードといえるが、結局「かたち」と「意味」は不可分で、だからこそ人間とモノが手を携えることができるというのは、非常に興味深かった。

……そう、もう一点ふれておく必要がある。本書はSFであるが、ラノベでもある。そして、アラトとヒロインであるhIE(AI)のレイシアの会話・関係・エピソードは多分にラノベ的手法で描かれ、慣れない人にとってはときに苦痛をもたらしたかもしれないが、ラノベの様式に従うことによって、人間とAIの関係を「ボーイ・ミーツ・ガール」という理解しやすいフレイムワーク(「みんなが理解っているお約束」といってもいい)に落とし込むことができたため、焦点が鮮明になっていた。正直個人的にも暑苦しく感じる部分もあったりしたが、俺はラノベとして書かれたことには意味があったと思っている。

以上つらつらと書いてきたが、AIが一般にも取り上げられつつある現在において、「これから」を問う小説だと思うし、50年後、もしかすると「いま」を問う小説になるかもしれない。……いや、さすがにそれは先走りすぎたかもしれないけど、モノ(AI)とヒトの関係を語るうえでの道しるべとなるようなすばらしい作品だった。

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